2019年7月30日火曜日

落ちこぼれの高校生が突然成績優秀者に変身する裏技


高校生の読者の人が本当にいるのかどうか分からないのだが、まあ社会人で改めて勉強したいという人を対象にしてもいい。とにかく、自分の成績を何とかしたいと思っていても何をどうしていいか分からないお友達、また現役高校生で授業についていけないという諸君に、裏技勉強法を伝授するのが本稿の主旨である。つまりは落ちこぼれのための勉強法講座なんだけど、ここでは普通レベルの公立高校で、クラスで成績中位を上下している人を受験の世界における落ちこぼれと見なしているので、そういう人はどうか気を悪くしないでいただきたい。



単純に言うと、普通の公立高校で(私立でも別にいいんだが)上位に入れば、地方国立大とか中堅上位の私立に受かるくらいのレベルになれるので、さっさとそれくらいになってしまえばいいのである。そうすれば成績のことで劣等感を持つことはなくなるし、親や教師からガタガタと説教されることもなくなり、女子からもちやほやされるだろう(これは保証できないが)。そのための一番手っ取り早い方法というか、無駄を省いた最短距離の方法を取ることが大事になってくる。勉強が苦手な子というのは、やるべきことをやらないで余計なことだけ必死でやっている場合が多いのである。



高校ではいろいろな科目があって忙しいわけだが、何でもかんでもやることはない。必要な科目だけポイントを押さえて勉強することで、十分に成績上位者になれる。キーになるのは当然、英語ということになりますね。英語が苦手なのは受験にあたっては論外なので、何をおいてもこの弱点を埋める必要がある。といっても、落ちこぼれ状態からいきなり単語帳をやり出したり、有名な参考書を開いたりしても、何を書いてあるか分からないのが実際のところだろう。はっきり言って、普通レベルの高校でクラス中位くらいのお友達がレベルの高い参考書を読んでも、急に身につくものではないからやめた方がいい。



センター試験の過去問題を見れば分かるように、英語の試験問題は大半が長文読解問題である。レベル的には高1から、せいぜい高2までの難しさでしかない。これはどういうことかと言えば、一年から二年のリーダー(コミュニケーション英語)の教科書を普通に読める学力があれば、センター試験では高得点が取れるということ。


したがって、基本的にはリーダーの予習・復習にあたる勉強法(つまらずに読めるまで音読、辞書を引きながら自力で本文を訳す)を毎日やることを提唱しているのだ。大きいお友達はもとより、高校生諸君もこれで苦手なリーダー(リーディングでもコミュニケーション英語でも、呼び方は何でもいいが)を克服できる上に、センター試験対策もできて一石二鳥である。とはいっても、それがなかなか難しいのが落ちこぼれ状態であって、予習復習をやるだけの学力がないという場合が多かったりするのだな。その場合は、中学英文法をひととおり復習したのち、「英語の構文150」と「システム英単語Basic」を適当に暗記すれば、一応の格好はつくだろう。


話は変わるけれど、高校生の読者諸君としては受験以前に、中間試験・期末試験の勉強に追われることになるわけだが、ここで定期試験における英語の得点の仕方をまとめておこう。


リーダーに関しては、大半が「この文章を日本語に訳しなさい」という出題なので、普通に予習復習をしていれば問題なく回答できる。それができないという人は、邪道ではあるが、教科書ガイドを見るか友達にノートを写させてもらうかして、日本語訳を丸暗記しておきましょう。これだけでおそらく60点くらいは稼げるだろう。それから、教科書の下に出ている新出の単語問題が20点くらいあるので、これも普通に覚えておけば問題なし。残りは章の最後に載っている重要構文とか簡単な問題文が、そのまま出題されるはずである。


これらのポイントを押さえておけば、80点以上取れない方がどうかしているのだが、どういうわけかこれが取れないんだよね(笑)。やるべきことをやらないで、機械的に教科書の字面だけ追って勉強した気分になっているのが一番よくないのだ。



英語の中で最も対策が難しいのがリーダーであり、それに比べたら英文法と英作文(英語表現)は簡単そのものである。しかし実際には、英語表現の方が高校生諸君の悩みの種になっている場合が多いので、逆にびっくりしてしまう。これらの科目が苦手だという人は、おそらく教科書の説明文を読んで理解しようとして、結果的に何が書いてあるのか分からずに投げてしまうのではないだろうか。予習とか授業の段階では、理解するために頭をひねるのはいいのだけど、試験に臨んでもまだ分かる分からないで悩んでいるから点数が伸びないのである。


英作文と英文法に関しては、教科書に出ている出題範囲の例文(せいぜい20個か25個くらいだろう)を、単純に丸暗記すること。ただそれだけで満点近く取れるのだ。というのも、先生の側からすれば、教科書をそのまま出題する以外に問題の作りようがないからである。僕は高校生の頃から、みんななんでこんな簡単なことをやらないのか不思議で仕方がなかったのだけど、要するに点の取り方を知らないということなんだろうな。ともあれ、英語で高得点を取るのは、落ちこぼれから成績上位者に変身するための第一歩である。勉強の仕方で悩んでいる人は、とにかくこれだけは実践してほしい。



2019年7月25日木曜日

自律神経失調症や不定愁訴を一年で改善する簡単無料の裏技


自律神経失調症に長年悩んでいる人は多いと思うんだけど、そういう診断がつけばまだいい方であって、世の中には原因不明の不調で身動きもままならない人もいるだろう。自律神経失調症、あるいは原因不明の不定愁訴というのはとても厄介で、体調不良が苦しいのは当然として、周囲の無理解が非常に厳しいのである。病名を言っても笑われるだけだし、よくてズルやすみ扱いされるのが関の山だ。そこでますます落ち込んで、症状が悪くなるという悪循環にはまってしまう。



これを改善する方法、というか悪循環を断ち切って、なんとなく普通に生活できるようにする心得みたいなのを、諸君に伝授したいと思う(なんで偉そうなんだ)。僕自身、自律神経失調症とパニック障害でほとんど起き上がることもできなくなった状態から、一年くらいでかなり改善した経験があるので、その方法を書いてみようと思うのだが、これは別に医学的にどうこうという話ではないし、即効性があるものでもない。ただお金はかからないし、一年もすれば起きてぶらぶら歩けるレベルには回復する。まともに社会生活が送れるようになるには何年もかかるかも知れないけれど、少なくとも町内を徘徊している怪しい人くらいにはなれること請け合いである。



まず、起き上がるのも辛いので寝てばかりいる人。こういう人は、少しずつでいいから起きて座るようにしましょう。そして、もう限界だと思ったら引っくり返ればいいわけで。この場合、座椅子なんかにもたれるのはよくない。なるべく姿勢を良くして自力で座った状態を維持することを心がけよう。というのも、座椅子を使うと腹筋とか背筋を使わないので、内臓が下がってしまうのだ。内臓がうまく働かないので不調になっているのに、さらに状態を悪くするような姿勢をとってはいけない。腹筋・背筋がついて胃腸が正常な位置におさまれば、お腹の血流がよくなり呼吸や心臓がそれだけ楽になる。



最初は正しい姿勢を心がけながら、一日中ゲームをやるのでもいいと思う。少なくともゲームに熱中している間は体調不良から気持ちがそれるし、そのぶん腹筋・背筋も鍛えられる。まずは長時間起きている状態に慣れることが大事だ。寝てばかりいると三半規管が弱って平衡感覚が崩れるので、急に起きるとふらふらして、それを新たな症状だと思い込むこともある。



それから、胃腸がうまく機能しなくて物が食べられないという人も多いことだろうと思う。こういう場合、お腹の中に便とガスが交互に詰まって下腹がパンパンに張り、満足に食事が摂れないので全体的には痩せてしまって、情けない体型になりがちである。この悪循環を断ち切る方法としては、たまった便とガスを出すことなんだけど、便秘薬なんかを飲んではいけない。これは一時的にはお腹が空っぽになったような気がするのだが、根本的な解決にはなってないし、体力そのものが落ちてしまう。



まず、胃腸が働かないという人は腹筋とか内臓そのものがカチカチに硬直していることが多いので、自分の手でマッサージしてみよう。これは気がついたときに習慣的にやることで、全体にほぐれてきて数ヶ月で便秘が改善する。しかしガチガチに固まった便が停滞していることがあって、お腹を指で触ってそれと分かることがある。こういうのは全く動かないのでかなり厄介。自分で軽く押して動かしてやるのもいいし、腹筋が硬直して腸をふさいでいる場合は、お腹の肉を指でつまんで持ち上げてやると、通り道が開いて動き出すことがある。


このマッサージ法は習慣的にやるのがコツで、便秘を一気に改善するのは無理としても、徐々に軽減させていくには効果的である。ガスが抜けるだけでお腹の張りは半減して、少しずつでも物が食べられるようになるだろう。



外出するとめまいや吐き気、呼吸困難が起きるという場合は、根本原因になったと思われるストレスを取り除くのが第一なんだけど、症状自体は過呼吸が原因であることが多い。吐く息を意識して、ゆっくり浅めに呼吸するのが大事だ。外に出るのが怖くなると、ますます外出が辛くなり、たまに出ると過呼吸がひどくなるという、これも悪循環に陥ってしまう。僕も一年くらい外に出られなくて、そのあとは百メートルも歩くと恐怖で足がすくむような状態になってしまった。これではいかんと思い、少しずつ歩く距離を伸ばしていったのだが、大田区の大岡山から多摩川の巨人軍グラウンドまで3キロくらい歩いたら、そこで体力が尽きて帰れなくなってしまった(笑)。



そのときには歩くのはかなり平気になったのだけど、電車に乗ると吐き気や過呼吸が起きて倒れそうになる。電車で帰ればほんのふた駅くらいなんだが、それが乗っていられないんだからどうしようもない。それで、今度は電車に乗る練習をやりはじめた。結局、吐き気が障害になっているんだから、吐きたくても吐けないように胃の中をからっぽにした状態で乗るようにすると、なるほどオエッとはなるんだが出てくるものは何もないんだから、安心といえば安心である。



山手線や東横線は乗客が多くて、混雑を見るだけで気持ち悪くなるので、もっぱら大井町線や目蒲線に乗るようにした。これならラッシュ時はともかく、平日の午前中などはほぼガラガラなので、気持ち悪くなっても誰にも迷惑はかからないし、最悪の場合は座席に引っくり返ってもいい(車掌に怒られるだろうけど)。これを数ヶ月続けていると、電車に乗ること自体は平気になってきたのである。気持ち悪いのは相変わらずなのだが、慣れて度胸がついてきたので、動悸や過呼吸が起きなくなってきたのだろう。


こうして、なんだかんだで一年くらいで、その辺をぶらぶら歩けるくらいに回復してきたのだった。動いているとエネルギーを消費するので、物が食べられるようになってくる。食べると胃腸の回転も徐々によくなってくる。このいい循環に入ることで、一歩ずつ体調が上向きになってきたのである。


2019年7月24日水曜日

巨人はなぜ広島に勝てないのか 昭和V9世代が野次馬的に考察する


まず最初にお断りしておきますが、僕はV9時代以来の熱狂的な巨人ファンであって、今なお「巨人が負けると飯がマズい」と本気で考えている昭和の遺物的なおっさんである。一番嫌いなのは巨人のことをわざと「読売」などと言いたがるゆとりで、あとキャッチャーのブロック禁止などという女々しいルール変更には正直吐き気を催しておる。リクエスト?なにそれ美味しいの?てなもんである。まあそういう老害の妄言・珍説の一種だと思っていただきたいのであって、あんまり真面目に読まれても困るのである。というのが今回の注意書きだ。ではいってみよう。



スピードガンのもたらした弊害について


唐突ではあるのだが、巨人云々の話の前提としてスピードガンについての老害的な苦言を呈しておきたい。最近はとにかく高校野球などでも何キロ出たとかいって大騒ぎしており、昔に比べてやたらスピード表示が出ているので、単純に野球のレベルが高くなったとか言ってV9時代を馬鹿にするゆとりが多いようである。だがちょっと待ってほしい。記録が日々進歩するのはいいとしても、たとえば百メートル走の場合は五十年で2%程度しかタイムが伸びてないのである。ましてや18.44メートルという短い距離のボール投げの話だ。十年や二十年で10%も20%も球速が増すなどということがあるかないか、常識で考えれば分かりそうなものであろう。



ではなぜスピードガンの数字ばかりが伸びるのだろうか。技術とか体格の向上で何%か速くなっていることは確かなのだが、それとは別にまず考えられるのが、数字が出やすい測り方をするノウハウが確立されたからである。特にテレビ局としては派手な数字が出た方が盛り上がるので、初速の一番速いところを狙って測っているのであり、そのあとの球の伸びとかキレに関しては全く考慮されてない。したがって、150とか160とか派手な数字ばかり出るわりには、何十年も野球を見ているおっさんとしては、それほどの速さを感じなくて首をかしげることになる。実際、山口高志や鈴木孝政、小松辰雄の球はテレビで見ていて「あんなの反則だろう!」とびっくりするところがあったが、現在160キロを出している投手を見てもそれほどのスピードを感じない。



第二番目に、投手がスピードガンと競争しているのである。本来は打者が打ちにくい球を投げるように工夫しなくてはいけないのに、その目的を忘れてひたすらスピードガンの数字が出る投げ方ばかり工夫している。その結果として、変に力を入れて投げる癖がついたために全体にコントロールが甘くなった。昔は針に糸を通すコントロールを武器とする投手がチームに一人は必ずいたものだが、そういうタイプの選手は影をひそめてしまった。さらにその結果、審判の質が低下して、きわどい球の見きわめがいいかげんになり、ストライクゾーンが極端に狭くなった。自然、ぎりぎりのコースで勝負することが難しくなって、投手ははっきりしたストライクでカウントを取ることを余儀なくされるようになったのである。ここまではあくまで前振りである(長いって)。



パリーグはセリーグに対してなぜ優位に立てるのか


毎年のセ・パ交流戦ではパリーグが圧倒的に勝ち越していて、その結果だけを見てパリーグの方がレベルが高いと決めつけるゆとりが多いようである。だが昭和のおっさんの見解は別にありまして、これはセ・パの野球の違いから来た結果であって、実はセ・リーグの方がレベルの高い野球をやっているせいなのである。セ・パの違いは何かと言えば、もちろん指名打者制のあるなしである。セリーグは投手が打席に入るので、そこでバントをすることが最初から決まっている。つまり、9番に回る前に無死か一死で一・二塁の形を作ることを目標としている。そのために早打ちを嫌って、待球作戦に出て四球を狙うことが最上の作戦とされる。つまり徹底した駆け引き野球だな。


一方のパリーグ側には待球という考えがそもそもないので、早いカウントから甘い球は振り回してくる傾向にある。セリーグの投手としては、カウントを整えてからウイニングショットで勝負が定石と考えているのだが、そこまで行く前に、本来は見送るはずの甘いカウント球をことごとく狙い打ちにされて面食らっている、というのが実情なのである。つまり、セリーグは詰め将棋みたいな細かい野球をやろうとしているのだが、何も考えてないパリーグ球団に無茶振りされて、勝負以前の段階で打たれているのだ。



もともと人気面で劣るパリーグが、少しでも盛り上げようとして導入したのが指名打者制であり二シーズン制であった。かつては遺恨試合(馴れ合いだったらしいが)の乱闘も名物だったよね。目指すところはお祭り野球であり、結果的に「打ちゃいいんでしょ、勝ちゃいいんでしょ」という大味な野球が大きな特色となったのである。その伝統が今も続いているのであり、ドラフトの際にもパワーのある投手や無茶振りする野手を指名する傾向にあるようで、そのことがさらに大味野球に拍車をかけているのだ。



打倒広島の秘策とは


結論から言うと、広島の野球はパリーグ野球のコピーである。前述したようにセリーグ伝統の野球は細かい駆け引き野球であり、その老舗であり最も洗練されたチームは巨人と言うことができる。広島は衣笠・山本浩二の主砲は別として、高橋慶・山崎・正田といった巧打者を並べて守りの野球で巨人に対抗するのがチームカラーであった。そして、老舗の巨人に一歩及ばないという状態が数十年続いたわけである。おそらくは、交流戦でパリーグと戦いっているうちにチーム構成の転換を思いついたのであろう。とにかく無茶振りするムラッ気のあるタイプの選手をずらっと並べて、カウントに関係なく甘い球は打つ、きわどい球は見送るという、大味なパリーグ野球をやりはじめた。あくまで細かい守りの野球をやろうとする巨人や阪神に対して、これが面白いようにはまったのである。


こういうチームは以前にも存在した。例えば昭和57年の中日であり、最たる例が昭和60年に日本一になった阪神であろう。しかし、広島のすごいところは、下位打線に至るまで全員が甘い球を振り回す方針を貫いているところだ。まさに「打ちゃいいんでしょ、勝ちゃいいんでしょ」の往年のパリーグ野球であり、その上で比較的投手力が安定していたので、結果としてバランスのいいチームに仕上がって三連覇を達成した。これは本来の広島のチームカラーではないし、セリーグ野球としては邪道であると僕は勝手に思っている。本来ならばお約束として、礼儀として見送るはずのカウント球を無茶振りしてくるのだから、これはあまり品のいい野球ではない。ただ、それで洗練を目指す巨人野球に勝っているのもまた事実なのである。



巨人投手陣は長打を打たれまいとして外角低目を狙うのだが、前述のように全体にコントロールが甘いし審判の質も低いため、ことごとくボールと判定される。仕方なく真ん中でストライクを取りに行くと狙い打ちされる、という同じパターンで何年も続けてやられており、昨年までの首脳陣はそれを捕手に責任転嫁していたのだからお話にならない。問題はリードや配球ではなくて、甘い球は打つ、きわどい球は見送るという単純きわまる広島打線の方針にある。次の試合では打たれまいとしてさらに外角攻めを徹底するので、結果的にますますカウントが苦しくなり、ストライクを取りに行って狙い打ちされる、という悪循環にはまっているのだ。

対策としては、徹底した外角低目狙いよりも、菅野・山口・マシソンといったスピードのある投手はインハイを軸にして球威で押し込むのが正解。速い球もなければ低目のコントロールもなく、ピンチになると真ん中でストライクを取りに行く癖のあるリリーフ陣が広島戦で炎上するのは当然の結果である。それでも去年に比べれば僅差の試合になっているのは、巨人打線が上がってきた成果と言えるのだが。



2019年7月23日火曜日

「ルパン三世カリオストロの城」の元ネタと第一シリーズに関する考察


子供の頃からテレビの洋画劇場、さらには深夜映画でありとあらゆる名作を見て、映画を学んだという気持ちが非常に強いんだが、ゴールデンタイムの映画番組はほぼなくなり、深夜映画という言葉自体が死語になってしまった。残っているのは日テレの金曜ロードショーのみで、これも宮崎アニメと変な日本映画しか放送しないという体たらく。この金曜ロードショーというのはかつては水曜ロードショーでありまして、水野晴郎が解説をしていたのはおじさん・おばさんのお友達には説明無用であって、85年に金曜に移行した第一作目が超大作「レイダース」だったのだが、開始直後に東京地方を震度5の地震が襲うというハプニングがあり、テロップが画面を埋め尽くしてグチャグチャになってしまったのも記憶に新しいところである。


さて、その金曜ロードショーのドル箱タイトルなのが、宮崎駿の「ルパン三世 カリオストロの城」である。この映画の公開時には、物凄く面白い漫画映画という印象を受けたものだが、世間的には全然1ミリも話題にはならなかった。この1978年、ちょうど「さらば宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」が人気を呼んで今でこそアニメ元年みたいに言われているのだが、はっきり言って当時は大人が漫画映画に言及するなどは考えもつかないことだったし、ましてまともに評価などすればキチガイ扱いされたことだろう。





しかし、「カリオストロの城」を公開時に見た子供(つまり僕の世代)が大学生になった時には、大学の映画ファンの間では「うる星やつら2」とどっちが名作か、という議論で持ちきりだったのである。さらには「マクロス」「ナウシカ」も公開された頃で、大作アニメが出はじめた時期だった。その頃、「ぴあ」という若者必携の情報誌があり、その誌上でオールタイム・ベストテンをやったのだが、なんと「ルパン三世 カリオストロの城」が1位になってしまったのである。僕らはこのときはじめて、漫画映画をまともに評価してもいいのだ、という事実に目覚めたのだった。



カリオストロ伯爵、クラリスといった人物は、原典の「怪盗ルパンシリーズ」でおなじみなので、ファンならば最初からニヤリとさせられるところだろう。僕が子供の頃に感じた印象では、要するにさらわれたお姫様をヒーローが助け出す話、という認識であって、抜群に面白いことは確かなんだけど、ルパンである必要はないのではないか、という気持ちがずっと頭の中にあった。考えてみれば、これは神話の英雄譚の基本パターンであり、ヤマタノオロチの昔から繰り返されてきた王道ストーリーと言うべきだろう。宮崎監督は劇場第一作ということで、ルパンのキャラを借りてやりたいことをぶち込んだのであって、それをオリジナルキャラでやったのが「天空の城ラピュタ」だと思っている。



カリオストロ城を舞台にした、ルパンと伯爵のクライマックスの追っかけと決闘は、東映動画の「長靴をはいた猫」のリメイクのように見える。この映画にはスタッフとして宮崎駿も参加していたので、かなり信憑性は高いのではないだろうか。しかしそれよりも、大人になってから感じたことだが「カリオストロの城」は、フランク・キャプラの「或る夜の出来事」によく似ているような気がする。これはずいぶん古い映画で、ベッドの間にシーツで壁を作るシーンが有名な古典的名画である。基本構成として、嫌な男と結婚させられそうになった女性を、ヒーローがかっさらうというところが一緒だし、結婚式のシーンなどは、ほぼそのまま踏襲しているのでびっくりさせられる。銭形の名セリフなどに横溢するハート・ウォーミングな味わいは、古き良きキャプラ的な世界なのかも知れない。



ところで、「ルパン三世」の最初のテレビシリーズで思い出すのが、何と言っても「黄金の七人」である。といっても、若い読者ちゃんはピンと来ないかも知れない。「黄金の七人」シリーズは往年の深夜映画では定番タイトルだったものだが、今やお目にかかる機会はほぼないからね。80年代に小沢健二がダバダバ音楽をほめたら、一瞬渋谷界隈でサントラ盤がリバイバル的にヒットしたことも記憶に新しいところである(だから新しくないって)。この第一作目の銀行襲撃からして完全にルパン三世なんだけど、特に笑っちゃうのが三作目の「新・黄金の七人 7×7」で、造幣局に潜入して勝手にお札を刷ってしまおうという、ルパンがやってた珍作戦の完全なる元ネタである。これ、藤岡重慶の吹き替え版がやたら面白いんだけど、深夜映画が絶滅した今となっては、もはや見る機会は永久にないだろう。



ルパン三世のニセ札ネタでもう一つ思い出すのが、日活映画「危(やば)いことなら銭になる」である。ニセ札作りの名人を探し出して原版を作らせようという、コメディタッチのギャング映画なんだけど、刷り上がったお札を見ると、聖徳太子があさっての方向を見ている使えない代物でした、というオチ。アニメでは聖徳太子がルパンの顔になってたが、そんなのは一瞬でバレちゃうだろうと思うんだが(笑)。この映画の脚本を担当している山崎忠昭は、アニメ第一話「ルパンは燃えているか」の脚本家でもあるので、まさにこの作品こそルパンシリーズの原点のひとつだろう。特にルパンの第一シリーズは、日活アクションのバカバカしい面白さに通じるものがあったと思うのだが、第二シリーズ以降は完全に子供向けアニメになってしまって残念だった。



2019年7月22日月曜日

アリス 70年代フォークとラジオ深夜放送の時代


このところ、往年のニューミュージック・グループの「アリス」が活動を再開しているそうで、ファンとしては喜ばしいところである。と言いつつ、アリスの名前を聞いて何らかの感慨を抱くのはわれわれ世代から上の昭和のおじさん・おばさんであろう。だいたい、ニューミュージックという言葉がすでに若い読者ちゃんたちには意味不明だろうと思うが、要するにそれまでフォークソングと呼ばれていた若者向けの音楽が、だんだんと歌謡界の主流になってきちゃったのである。「チャンピオン」がベストテンの1位になって、ニューミュージックの頂点を極めた感じのあったアリスだったが、そのあとあっさり活動を停止しちゃったので、オフコースあたりに比べると若年層の知名度はかなり低いのではないかと思う。(もちろん、谷村新司や堀内孝雄を知らない人はいないだろうけど)



そのアリスだが、思い返せばとにかく「売れない」フォークグループだったのである。70年代というか昭和50年前後には、フォークの曲が爆発的にヒットするのが当たり前の現象になっており、吉田拓郎をはじめとして、かぐや姫、井上陽水、グレープ、チューリップ、海援隊、バンバン(谷村のDJの相棒だったばんばひろふみのグループ)と主だったところはヒットを飛ばしているのに、なぜかアリスだけはレコードが売れない。といってもアリスの知名度が低かったわけではなくて、谷村新司はラジオの深夜放送「セイ・ヤング」と「ヤングタウン」のDJとして若者の間で絶大な人気を得ていた。谷村の番組は当時の中高生のほとんどが聴いていたのではないだろうか。僕はどちらかといえば関西圏に住んでいたのだが、関西のノリが好きではないので雑音まじりの「セイ・ヤング」の方を聴いていた。



音楽的には、アリスの二枚目のアルバム「アリス2」が非常に完成度の高い出来だった。シングルでも出た「愛の光」を筆頭に、甘いカレッジ・フォークから大人のクールなフォークへと一歩抜け出した感じがあった。このアルバムの収録曲が後年まで、コンサートにおける定番のナンバーになっていたわけで、やはり前期アリス・サウンドの基本は「アリス2」ということになるだろう。そのあと、アリスがやや迷走を続けたように見えるのは、なぜかヒット曲が出ないという焦りと、なんとか売り出そうとむきになっていた(?)会社側の姿勢のせいではないかと思うのだ。



「アリス3」では松本隆・都倉俊一というヒットメイカーを起用したシングル曲「青春時代」をはじめ、かまやつひろしなどの有名作曲家の曲をメインに据えるという思い切った作戦に出たが、ファンからは大不評を買い、むしろ「走馬燈」「星物語」といった地味なオリジナル曲の方が光るという皮肉な結果に終わった。もっとも、その「青春時代」はなかなかの名曲であり、松本ワールド全開という意味ではkinki kidsの「硝子の少年」の先駆けと言えるのではないだろうか。次の「アリス4」ではヤング向け映画「恋は緑の風の中」の主題歌を歌い、「小さな恋のメロディ」の日本版を狙ってみたものの、世間的には全くの不発。しかし、この時期には谷村のDJが深夜放送における人気トップという状態になっており、ラジオを聴いている若者層を中心に、LPレコードが隠れベストセラーになるという現象が起きていたのである。谷村新司と堀内孝雄がソロ活動を開始したのは、ちょうどこのアリスの迷走期であって、アリスとしての活動よりもむしろソロアルバムを中心に、音楽的な成熟度が高まってきたような気がする。



そんな状況下で、久しぶりにアリスらしい、完成度が高くて渋い(?)サウンドが聴けたのがアルバム「アリス5」だった。その直前に出たシングル「今はもうだれも」がオリコン11位という初のスマッシュ・ヒットを記録しており(といってもこれは関西フォークのウッディ・ウーのカバー曲)、さらにアリスのキャリアを通じての代表曲である「遠くで汽笛を聞きながら」「帰らざる日々」も収録されている豪華盤。アリスを知らない人からまず何を聴けばいいかと問われれば、迷うことなく「アリス5」と答えるだろう。そんな質問を受けることはまずないだろうが(笑)。アリスといえばアイドルには遠い微妙なルックスで、若者に絶大な人気があるし曲もいいのに渋すぎて売れないグループだったのだが、ここにきて分かりやすくてノリのいい、一般受けしそうなサウンドが定着してきた感があった。若者の間での知名度、コンサートにおける人気、フォークがニューミュージックとして歌謡曲に近づいていった時代背景など、アリスが人気グループとして大爆発する要素は確かに出そろってきていた。



そうした様々な要素が、初の大ヒット曲「冬の稲妻」で結実するわけである。これは堀内孝雄の長所である、ノリがよくてインパクトのあるメロディ・ラインが完成を見た結果と言えるだろう。この堀内的なポップなメロディは、ソロ曲「飛び立てジェット・プレーン」などの佳作にその兆しが見えていて、このあと同路線で「君の瞳は10000ボルト」「南回帰線」といったアップテンポな曲を連続でヒットさせている。その堀内孝雄がなんと演歌に行っちゃったわけだが、それはまた別のお話である。(そういえば堀内と仲のいい高山厳のヒット曲「心凍らせて」も演歌調だから、これは考察に値するところだろう)



といった感じでアリスを聴いてきた僕であるものの、リアルタイムで付き合えたのは「冬の稲妻」に続くヒット・シングル「涙の誓い」までだった。この辺になると、アリスもファンも「ヒットしないとまずい」という空気になってきており、とにかくヒットチャート上位に行きそうなインパクトの強い曲を優先させる雰囲気になってきたのである(僕の個人的感想だけどね)。だから、アリスとしてはとにかく売れそうな曲を出して、本当にやりたいことはソロアルバムでやるような傾向が強くなってきた。若いのに地味で渋いというアリス本来の特徴はソロの方に移っていったわけで、こうなるとグループとして活動停止したのは必然のように思われる。



それでも、ラストコンサートで数々のヒット曲をメドレーでさらっと流して、最新アルバム曲をメインに持ってきたりするマイペースなところが、さすがにコンサートに年季の入っているアリスだなあと思わされた。僕個人としては、「アリス2」の頃の曲にこだわった末に、「今はもうだれも」「帰らざる日々」で締めるコンサートの構成が好きだった。1978年くらいまでそんな感じだったかな。


(古い話を記憶だけで書いていますので、事実誤認があると思いますがご容赦ください)